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言葉を尽くして

AURALEE / WOOL KID MOHAIR KERSEY SLIT SKIRT / 36,000+tax

フィードに流れてくるスタイリング画像を見て購買欲求を掻き立てられてり、画面越しに誰かが商品を持って説明してくれる動画を眺めてウインドウショッピングのように楽しんだりと、私たちの生活の中には写真や動画の形をした情報のやりとりというものが急速に浸透していき、新しい当たり前となりつつあります。

例えば商品を手に持って熱心に説明の言葉を添えてくれる人の映る動画を眺めていて思うことは、そこにあるのは主役としての商品であり主形態としての動画というコンテンツなのですが、補完的に添えられている彼らの語る言葉にこそ、重要な側面があるような気がしてならないということです。

素晴らしいストーリーの語られた美しい動画や完成度の高い写真は、それ自体が価値でありアート作品の様相すら呈していますが、そこに意味性や目的性を見出すことは多くの消費者にとっては難しく、そこに同じ空気感を纏った言葉が添えられていることが、その動画や画像の意味や輪郭を明確に形作ってくれるような気がしています。画面越しの誰かに向けて話をしたり何かを見せたりしているときにも、言葉を尽くして説明しなければそこにはやはり温度のない画面があるだけで終わってしまうのです。

対面で直接語られるものではなかったとしても、目の前にいない相手に向けられた言葉なのだとしても、そこにいる誰かに対して言葉を尽くすことは、新しい当たり前のプラットフォームの中ではより重要度を増していくのではないでしょうか。そこに添えられる"言葉"の持つ意味をもう一度自分に問い直してみたいなと、上達しない写真技術に直面しながら素直に感じ入りました。(守屋)

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マイスタンダードの見つけ方

PHLANNÈL SOL / Light Suvin Cotton French-sleeve T-shirt / 11,000+tax

定番の一着だと思って買い足しているカットソーは、実は「定番だ」と自分に言い聞かせたところでその立ち位置は案外危ういものであることがあります。その定番は数年続いているものなのか、それとも2、3年置きに移り変わる定番なのかと振り返ってみると、後者の定番として思い当たるものが数着、クローゼットの中で今日も自分の活躍の場を与えられるのを待っています。

前者の方の、数年続いている定番というのは、アイテムそれ自体が、マイスタンダードとしての存在意義を獲得しています。"PHLANNÈL SOLのカットソー"が定番なのではなく、"PHLANNÈL SOLのユニセックスTシャツ"こそが自分の定番だということです。一方で後者の方は、まだその定番という言葉が、そのアイテム自体には係っていないという状態であるのでしょう。まだ、PHLANNÈL SOLのカットソーが定番だというだけで、もしかしたらそれは今年はユニセックスTシャツかもしれないし、来年は違うかもしれないのです。そんな危うい立ち位置は、いとも簡単に別のブランドに定番の座を譲ることになります。

またあるいは、自分が定番だと決めた一着は、実は毎年生産されておらず、気がついたときにはどこにも売っていないという状況だってあり得るのだと思います。案外、毎年律儀に同じものを作ってくれるブランドはあまりなく、老舗の海外ブランドや専業ブランドなどに限られてくるでしょう。だからこそ、これぞ私のスタンダードと呼べるようなアイテムと出会えることは大変に貴重だと思います。

老舗の誰もが知っているブランドではないのに、律儀に毎年同じものを作っているブランドがあったとしたら、それはきっとそのブランドの強みとなるアイテムなのだと認識して間違いはないはずです。そう思って、マイスタンダードになり得るのか、一度クローゼットに迎え入れて審査をしてみるのも悪くないかと思います。そうしているうちに、貴重な貴重なスタンダードに出会える日が、必ずやってきます。(守屋)

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桜の季節の後から紅葉まで

Phlannèl / Cotton Silk Over Sized Band Collar Shirt / 28,000+tax

コートやジャケットのインナーとなるようなシャツの担うべき役割は、桜の木の下あたりに置き去りにされ、夏へと向かうこれからの季節にはまた違った役割がきらきらと輝く太陽の光に混ざって降り注いできます。もちろんそれは、カットソーの上にさらりと羽織って温度調節をすることであり、強い日差しを遮って、汗ばむ身体を守ることにあります。

その役目を果たすシャツには、肌に触れることの心地良さや幾度となくやってくる洗濯に耐えうる強度や、脱いで手に持ってもシワになりづらいことなど本当に様々なことが求められてきます。そして実用面以外で私がこの季節のシャツに求めたいのは、「シャツから覗く肌とのバランスが取りやすいこと」です。

単純に肌を露出した状態の首筋に光るネックレスより、シャツの襟元からちらりと見えるそれがより美しく見えるように、半袖のシャツから伸びる腕より、長袖を無造作に捲り上げた先から表れる腕が美しいように、シャツがあるからこそ際立つ人の姿や肌、そしてそこに乗せられたジュエリーの輝きがあるはずだと思っています。だからこそ、肌が見えすぎるだけのシャツは良くないし、かといって身体を覆い隠してしまい少しの隙も与えないようなシャツはバランスが取りづらく季節に対する要望を満たせないのです。

バランスの取りやすいシャツには人それぞれの着こなしが如実に表れてきます。そしてそこに表現されたバランスの取り方というのは、どんなコーディネートを組んでいるかということにもまして、その人の感性を顕にしてくれます。その明快に表現された人々の感性は、とても魅力的に映ります。(守屋)

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正しく装う

SHORT SLEEVE RAGLAN ALOHA SHIRTS - Black / 28,000+tax / Mens

アロハシャツは現地の人々にとって、男性の正装として認識される服なのだそうですが、その「正しさ」については、アロハシャツのルーツを共にする私たち日本人にとってもなかなか理解しづらいものがあります。正装と言われて思い浮かべるのは、襟付きのシャツにタイを締める、さらにはジャケットを羽織る姿ではないでしょうか。

そもそも「正装」とは、「正しく装う」ことであると考えるならば、その正しさの依拠するところはそれを装う場所、シーンということになります。その文脈に則ると、前述の「正装」のイメージは冠婚葬祭時に着用される装いの正しさであるかと思うのですが、そのようなシーンにおいて「正装」として着用されることを許されるアロハシャツも、そこに描かれる絵柄のモチーフによって細かく定められているようです。

勿論、そういったシーン以外の場において、例えば観光地を盛り上げる場所で、雰囲気づくりのために着用されていることも往々にしてあり、そのような場での「正装」として成立するアロハシャツは、きっと明るさ、華やかさ、幸せな時間や心の表れる色彩を用いたシャツということになるはずです。そして描かれる柄はハイビスカスをはじめとする現地らしい植物や海の絵柄であることがその時求められる正しさです。

SHORT SLEEVE RAGLAN ALOHA SHIRTS - White / 28,000+tax / Womens

では、これらのアロハシャツを街の中や生活の中で着用する際の「正しさ」はどこにあるのかと考えるならば、その答えは、頑張らないこと、格好つけずにリラックスして着ること、であるというのが私の持論です。

日常生活のシーンの中で正しくあるためには、自分自身があくまで自分らしくあることこそが一番の正解の形なのだと考えると、それを覆い隠すように背伸びをしたり、頑張って、気を張って、ベールを纏うような行為は正しさとは離れていくのではないでしょうか。特に、ハワイの柔らかく寛大な島の雰囲気を想起させるアロハシャツを着ようと思うならば、尚更気を付けたい正しさであると思います。(守屋)

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一杯のコーヒーを

大村剛 / 色絵カップ各種 / 3,500+tax〜

ほっと一息つくためのコーヒー。眠気と戦い集中力を高めるためのコーヒー。談笑するためのパートナーとしてのコーヒー。自宅でもオフィスでも、座って何か作業する時間が長ければ長いほど、コーヒーを必要とする時間、あるいは自分でコーヒーを淹れる時間というものが増えてくるだろうと思いますが、先日公開したCOBI COFFEEマネージャーへのインタビュー記事で語られていたことで印象的だったのが、「コーヒーの味をデザインできる楽しさ」がコーヒーを淹れる時間には含まれているということです。

大村剛 / コーヒーサーバー色絵 / 10,000+tax

缶コーヒーでも、マシンメイドのコンビニコーヒーでも、そして専門店のハンドドリップコーヒーでも、それらはまるで別の飲み物であるにも関わらず「コーヒー」という名のものとに一括りにカテゴライズされます。その一括りになったコーヒーのうち、味わい以外で違いをなすものとしてはその前後にある時間の流れなのかと思います。一括りのコーヒー達に求める役割は、それを手にする人々によって千差万別なのです。

ある人は缶コーヒーを手にする時間で仕事を一区切りさせる人もいるでしょう。またある人はコーヒーショップにコーヒーを買いに行く時間で気持ちをリフレッシュする人もいるでしょう。そうかと思えばある人はコーヒーを片手に仕事をすることで集中力を保っているのでしょう。そして、本当に少数派になるかもしれませんが、コーヒーを淹れる時間を通して、気持ちを整えたり、思考を整理したり、あるいは何か自分好みのものを生み出す楽しさを感じている人もいるのだろうと思います。

大村剛 / コーヒードリッパー黒 / 6,000+tax

その時間を過ごしたからといって心がどうにか動くわけでもなければ、仕事の効率が上がったり、誰かから喜ばれたり報酬をもらえたりするものでは決してないのです。ただ真剣になってコーヒーを自分のために淹れてみる、自分の思い通りの何かを作り出してみる、それだけのことなのです。それだけのことが、無駄に思えることが、もしかしたら人生を楽しく豊かなものにする近道なのかもしれません。大袈裟な言い方をすれば、コーヒーを淹れる時間は、コーヒーの味をデザインするだけでなく、自分の人生や自分の時間をデザインする時間なのかもしれません。(守屋)

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